第1位:DJ Khaledが「天の主」に対して感謝を述べた讃歌「GOD DID」(2022年Hip-Hop名曲名盤ベスト20!)

ついに2022年の第1位を発表する時がやってきました。

2022年の第1位に輝いたのは,DJキャレド(DJ Khaled)率いる錚々たる顔ぶれが集まって作り上げた楽曲「GOD DID」です。

楽曲「GOD DID」では,リック・ロス(Rick Ross),リル・ウェイン(Lil Wayne),ジョン・レジェンド(John Legend),フライデー(Fridayy)そしてジェイ・Z(JAY-Z)がフィーチャリングされています。

これは,ひと言で言うと,神への感謝を歌にしたものです。しかし,ご案内のとおりジェイ・Z(JAY-Z)はキリスト教徒ではありません。宗教は明かしていません。また,DJキャレドにしてもキリスト教徒ではなく,自分で公開しているとおり,DJキャレドはイスラム教徒です。つまり,神(GOD)と言いつつも,彼らが「GOD」というものは神のみならず,それは「天」であり,「アッラー」であり,「シヴァ神」であり,「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」であるのです。我々人間を遠く高いところから見守ってくれているものに対する讃歌です。

まずはそれを理解していただいて,次に進みます。

DJキャレドが曲中で言う「they」とは「人間」のことです。それに対比させて「GOD」を持ってきています。そしてその後キャレドはこう言います。「GOD DID」であると。ここで過去形(DID)を使っています。現在形(DO, DOES)や未来形(WILL DO)ではありません。過去形,つまり,すでにGODがしてくれたことに対して感謝しているということです。何かをしてくださいというお願いをするのではなく,すでに与えられた(過去形)こと,すでにしてもらった(過去形)ことに対して,ありがとう,と言っているのです。

ここまでの大成功者であるこの4人が集結して,全員で,なんらかの高きエネルギー体に対して,感謝を述べているという構図です。

それから,もう一つ重要なのは,曲の冒頭でDJキャレド(DJ Khaled)が言う言葉です。DJキャレドはラップはしません。その代わり,重要な言葉を言います。歌うわけでもなく,ラップするわけでもないですが,ビートを制作し,曲をプロデュースさせ,そしてたまに曲でたいせつなことを「言い」ます。

こう言います。

While you hatin’ and being jealous
You could be over here embracing that love
More love, more blessings, more life

訳:
人を嫌ったり,他人に嫉妬している暇があるのなら
こっちへ来て,愛を受け入れようではないか
もっと愛して,もっと恵みを与えられ,もっと生きる

DJキャレドが誰かとビーフをやっているといったことを聞いたことがない。DJキャレドが誰かのことを陰で悪く言っていることを(これだけSNSが発達している時代に)ひと言も聞いたことがない。DJキャレドから出てくる言葉は愛しかない。

こんなラッパーというかラッパー関係者は今までいなかった。
あのディディでさえ,ウェッサイ(西側)と対決していた。
しかし,DJキャレドは人と対決するということさえしたことがなかった。
これはもう,ヒップホップ界で唯一,そんなことができるのはDJキャレド(DJ Khaled)しかいない。これまでヒップホップのエッセンスなどと呼ばれてきた「ラップ対決」が最も相応しくない人物がこのDJキャレドなのだ。

さて,この曲に3人の人物をDJキャレドは起用した。2010年以降,ヒップホップ界を牛耳った巨漢のマフィア・ラッパー=リック・ロス(Rick Ross)。彼はDJキャレドと同じくマイアミ出身。映画『スカーフェイス』のロケ地ともなったマイアミは本物のマフィアが麻薬を取引するということが起こることが多い場所である。リック・ロスが無名から有名にのしあがったその隣には,常にDJキャレドの存在があった。

もう一人は,ニューオーリンズ出身のリル・ウェイン(Lil Wayne)。90年代後半から深南部(Deep South)出身のラッパーとしてヒップホップ界に君臨。アルバム『The Carter III』は,リリース後1週間で,はい,1週間で,100万枚以上の売り上げを出すという,ヒップホップ史上最も売れたアルバムを出した張本人。しかも大ベテラン。1995年からラッパーとして活動をしており,もう27年経っている。1982年生まれなので,13歳からプロフェッショナルにラップをしていた計算になる。そのリル・ウェインが今さらではなく,今であるからこそ,神がしてくれた(過去形)ことに対して感謝を述べた讃歌(GOD DID)をこうして捧げた。

3人目はジェイ・Z(JAY-Z)。
ジェイ・Zはこう言います。

Sometimes I feel like Farrakhan talkin’ to Mike Wallace
I think y’all should keep quiet

訳:
時に思う,俺はマイク・ウォレスと議論するルイス・ファラカーンかと
あんたらに言われる筋合いは無い

「I think y’all should keep quiet(おまえら,黙っとけ)」というのは,1996年,米CBSネットワーク局の報道番組「60 Minutes」において,ルイス・ファラカーンがマイク・ウォレスに言い放ったフレーズです。

ジェイ・Zのヴァースは3分05秒から始まり,6分48秒で終わります。この3分43秒の間,ぶっ続けでジェイ・Zはラップをするわけですが,その間に言ったこと全てがルイス・ファラカーン(Louis Farrakhan)であるようだ,というのです。

ルイス・ファラカーンは上記インタヴューで,マイク・ウォレスに対して言います。ナイジェリア政府の批判をする前に,自国(アメリカ)の政府がどれだけ腐敗(corrupt)しているか分かっているか。ナイジェリアは(インタヴュー当時1996年)建国してわずか35年しか経っていない国であるのに対し,アメリカは独立して220年経っているにもかかわらず,いまだにこんなにも汚職のある国である,と。人のこと言う前に,自分を省みてみよ,と。

つまり,3分43秒でジェイ・Zがラップしていることというのは,ルイス・ファラカーンのインタヴューから26年経った今,2022年,アメリカを知る上で最も重要なことである薬(ドラッグ)の世界とそれを取り巻く法律(the laws)についてなのである。

ジェイ・Z(JAY-Z)という人間は,経済的な豊かさを手に入れることに成功した後は,法律を揺さぶる(つまり政府を動かす)ことにまで影響力を持ち始めたのである。ミーク・ミル(Meek Mill)を刑務所から出してやったことについてもそう。大麻(cannibis)をNY州で合法にしたというのもそう。ひと昔前までは非合法であったことを,政府を巻き込んで,政府の決断に対して影響力を持つということを,公にやる,という,世界最大のヘッジファンド,ブリッジウォーター・アソシエイツの創業者であるレイ・ダリオが著書『Principles(邦題:人生と仕事の原則)』で述べていた第一の原則である「徹底的に隠し立てをしない」をまさにやってのけているという,成功するための大原則をジェイ・Zは我々にラップをとおして教えてくれているというなんと贅沢なことであろうか!

そしてこういった歌詞のラップを聴く際に,我々に求められている態度は,「徹底的にオープンになる」ということである。ちなみにこの「徹底的にオープンになろう」というのは,前著『Principles』の3番目の大原則でもある。

ジェイ・Zはこう言います。

Odds wasn’t great, we’d even be alive
Gotta be crazy to y’all niggas, we surprised
Shit is too much how we grew up
Shit don’t even feel real to us

訳:
俺らが生き残る確率は,極めて低かった
どうしたことかと,おまえらもビビってる,俺らこそ驚いた
どんだけ苦労して,大きくなってきたか
あの頃のこと考えると,いまの人生が本物(リアル)だとは到底思えない

しかし・・・

HOV DID.
(ホヴァは生き残った。)

そしてそれを聴く私の態度として,この4人に生かしてもらっていることに,感謝。KHALED DID.

取り敢えず,2022年のベスト20はここで終了いたします。
ここまで読んでくださって,ありがとうございました。
いえ,たとえ読んでくださっていなくても,このページに来ていただいて,ありがとうございました。

ヒップホップの歴史は,この曲がそうであったように,常に新たに絶え間なく刻み続けられています。

2022年,あらゆる素晴らしい音楽が誕生しました。このページで紹介できるのはほんのわずかな数ですが,それでもこのページに来てくださっていて,感謝しています。

どうもありがとうございます。

2023年も,どうぞ,よろしくお願いいたします。

(文責:Jun Nishihara)

久しぶりにJAY-Zの楽曲「4:44」を復習。

ジェイ-Z(JAY-Z)の13枚目のアルバム『4:44』がリリースされたのは2017年6月30日でしたが、久しぶりにタイトルトラック「4:44」を聴いてみます。

サンプリング曲として起用したのがHannah Williams and The Affirmationsの楽曲「Late Nights & Heartbreak」です。こちらです。

こんなにソウルフルで包容力のある歌声をしていますが、彼女は2016年に同曲をリリースしたばかりのUK生まれのシンガーなのです。

2017年11月にロンドンで開催されたSoFarライヴセッションの模様も掲載しておきます。

そのサンプリング曲をふんだんに使ったオルタナティブ・バージョンがありますので、こちらに掲載しておきます。

(キュレーティング:Jun Nishihara)

【永久保存版】アリシア・キーズの公式YouTube上にて、ジェイ・Zの名曲をピアノで演奏した際のステージパフォーマンス(18分間)映像を公開。

標題のとおりですが、こんな貴重なライヴ映像を公式YouTube上に掲載してくださるとは。アリシア・キーズ(Alicia Keys)及びアリシアの関係者に感謝!ジェイ・Zがデビューした1996年からジェイ・Zの音楽を(アリシアと同じく)聴いてきた私としては、感慨深いものがあります。

18分じゃ足りないですね。
Jayの音楽に関しては、18時間ぶっ続けで聴いても、全く飽きないのは、どうしてなのでしょう。これは10代の頃からそうで、1日中寝ずにHOVを聴いていた頃の記憶が甦ります。

いま縁があってNYに滞在しておりますが、アリシアが冒頭で演奏する楽曲「Dead Presidents」(アルバム『Reasonable Doubt』収録)については、20年以上前に私がNYに住んでいた頃にヘッドフォンで流しながら、NYの地下鉄なりMetroバスに乗っていた頃に聴いていた曲で、その時代の生活や、生きていた環境、におい、気持ち、太陽、家の近くにあったSpanish Restaurant、友達と外出した時のこと、お金がなくて困っていた頃のことなどなどが、もう鮮明に浮かんできます。

あと、上記映像の中で、ジェイ・Zとザ・ネプチューンズ(The Neptunes)の曲「I Just Wanna Love U (Give It 2 Me)」に移行する瞬間!!!ジェイはよくインタビューで話していたことがありましたけど、「その移行(segue = transition)最高だね」と。まさにこれが「その移行」ですね。

実は、これ、今、午前3時に書いています。寝ることもせずに、Jay-Zの音楽ばかりを聴いていた時代を思い出します。音楽のサブスクリプションが無い時代ですからね、CDに穴が開くくらい同じCDを聴きまくらないと、他に聴くものが無かった時代ですから、というのは言い過ぎかもしれませんが、少なくとも、手を伸ばせば、簡単に他のアーティストの音楽が手に入った時代では無かったですから。

(文責:Jun Nishihara)

元ネタの曲を知る(15):ドレイク ⇄ ジェイ・Z

2001年9月11日にリリースされたジェイ・Z(JAY-Z)の『The Blueprint』を当時,CDで買い,その翌年(2002年)に予定されていたNYで始まる学生生活に向けて,準備をしていた。その準備期間中,2001年〜2002年にかけて,『The Blueprint』ばかりを聴いていた。お金は無く,現代のようにストリーミングサービス(Apple MusicやSpotify等)があるわけではないため,聴ける音楽の種類と量は限られていた。その限られた中でも,『The Blueprint』をPanasonicのポータブルCDプレイヤーで聴きながら,タワレコ(Tower Records)やHMV等に通っては,リリースされたニューアルバムだけに限らず,以前にリリース済みの古いアルバムについても試聴をしまくり,店頭のラックを見て勉強しつつ,TSUTAYAで安くレンタルしたりして,どういった音楽が世に出ているのかを勉強するといった日々を過ごしていた。幸い,インターネットが世に出て初期の頃であり,ありがたいことに私もインターネットが使えたため(AOLの有線で,接続する際にピーピュルルーと鳴るアレである),YouTubeなど存在しない当時ではあったものの,非常に画質の悪いもののミュージックビデオ等を確認することは可能であった。かろうじて,音は聞こえたし,当時TVの衛星放送等でミュージックビデオ等が放映されていたため,食い入るようにして観ていた。

「ミュージックビデオ」という存在は当時はめずらしかった。今でこそ,YouTube等で誰でも観られるようになり,めずらしくもなんともなくなったが,当時は,毎週MTVでその週のミュージックビデオランキングをしていたほど,ある種の「特別感」があり,我々はそれをワクワクしながら観ていた。

JAY-Zの「Song Cry」のミュージックビデオを初めて観た時は感動した。理由は,この曲の音源はそのポータブルCDプレイヤーの中のCDが擦り切れる程,聴きまくっていたのに,ミュージックビデオだけは長い間,観られなかった(観られる環境がなかった)からだ。インターネットでもこの曲のミュージックビデオは,どうしても見つけられなかった。なので,あそこまで音源だけは繰り返し聴いていて,ミュージックビデオを初めて観たのは,もっと後になってからであった。

現代の音楽を聴く世代をうらやましく思う反面,かわいそうに思えるのはこれが理由である。私が当時経験した,楽曲だけは聴いていて,ミュージックビデオがどうしても観られない,そしてそれを何がなんでも観たいと日々強まる想い,というこの気持ちを,現代の子たちは経験できなくなってしまっているのではないかと思う。今は,見ようと思えば,YouTubeやGoogleで検索すればすぐに観られる時代である。日々,強まる想いは,すぐにその瞬間に「解消」「解決」されてしまう。そのスピード感であるがゆえに,当時感じたような,ゆっくり湧き上がる,徐々に強くなる想いのような青春は感じられなくなってしまっているのではないかと推測する。

「涙が出ないので,曲に泣いてもらうしかないんだ」という切なさをラップしたこの曲を,「音源」だけを聴いて,どういった意味をJAY-Zはこの曲にもたせているんだろうと,少なくとも1,2年はそれについて考え続けた。その楽曲を聴きながら。だから必然的に何度も何度も繰り返し聴き込んだ。知りたかったから。JAY-Zがどういう思いをこの曲にもたせたのか,ということを。インターネットは当時あったが,そんなことを解説しているブログ(ブログという言葉すら存在しない時代)もなかったし,「Song Cry」を私ほど聴き込んでいる日本人は日本中探してもどこにもいないだろう,と思っていたからだ。その答えを知るために,誰に頼ることもできない。日本人に頼ることなどできない。自分で答えを探すしかなかった。だから,他の日本人の誰よりも,聴き込んだ,という自信だけはあった。しかし,ミュージックビデオだけは見つからなかった。

その答えを見つけたいという思いと,ミュージックビデオを観たいという日々強まる想いと,楽曲の切なさに胸打たれる思いと,そんなあらゆる思いが複雑に交わり合って,ついにミュージックビデオを初めて自分の目で見ることができた瞬間は,涙が流れた。

JAY-Zは曲に泣いてもらうしかない,とラップしていたが,私自身の目から涙が流れた。

そのようなあらゆる思いが入ったこの曲を,19年後の2020年3月にドレイク(DRAKE)がサンプリングネタとして起用し,「When To Say When」という楽曲として世に出した。そしてまた,それを聴いたあと,NYに戻っていた。

Drake – “When To Say When”

JAY-Z – “Song Cry”

P.S. 上記本文内で,「Song Cry」を私ほど聴き込んだ日本人は他にいないと書きましたが,故・二木崇先生だけは私よりも聴いていた(いや,正確に言えば,私ほど聴き込まなくても,ちゃんとこの名曲のことをご理解されていた)のではないか,と後に有難いご縁もあり,そういう想いを強めた次第でした。二木先生,私はあなたの書くヒップホップ的な文章にずっと憧れておりました。

(文責:Jun Nishihara)

元ネタの曲を知る(12):ドレイク ⇄ JAY-Z ⇄ ボビー・グレン

どうも,西原潤です。

1年半以上前ですが,2018年9月にこういう見出しを1件UPしました。

ジェイZのヒップホップ界歴史に残る名盤『The Blueprint』に収録されている「Song Cry」の元ネタを探ったものでした。

この曲が世にリリースされて,かれこれ18年以上が過ぎておりますが,その18年以上が経過した今,ヒップホップ界でベテランの域に入り始めているドレイクが,この名曲を引っ提げお手本にして,「When To Say When」という曲を今年2月にリリースしました。そして,2020年5月1日にリリースした公式ミックステープに同曲「When To Say When」を収録しました。

私の尊敬するHip-Hop JournalistにElliott Wilsonという方がいます。Elliott(YN)は80年代から米ヒップホップ雑誌(『ego trip』『The Source』『XXL』『RESPECT.』)の編集者(後に編集長)として名を上げてきた人物です。最近はTIDALで放送されている動画付きのラッパー・インタヴュー集「Rap Radar Podcast」を立ち上げております。すでに現時点で,90話まで進んでおりますので,約90名のラッパーをインタヴューしてきた計算になります。このインタヴュー集は,TIDALを月額購買していれば,視聴可能です。

昨年2019年12月25日に公開されたElliott Wilson & B.Dotとドレイク(Drake)のインタヴューは,ドレイクのトロントの自宅で行われました。インタヴューが“あの”ドレイクの自宅で行われた,というのは,どれだけElliottがヒップホップ界でリスペクトされているか,ということを物語っています。このインタヴューはTIDALを月額払って観てみる価値はありますので,お金に少し余裕のある方は,月額スタートしてみると良いですよ。

さて,そのドレイクが「When To Say When」を今年2月にリリースした際に,ミュージックビデオも同日公開されました。そのミュージックビデオは,ドレイクがジェイZの生まれ育ったブルックリンのMarcy Projectsに赴き,そこで撮影しているという感動的なものです。なぜ感動的か,というのは幾つか理由はあるのですが,1つは,タイミングです。2001年8月に亡くなったAaliyahをドレイク自身,当時好きで聴いていました。当時2001年にドレイクはラッパーとしてまだ世に出ていませんでしたが,同じ世代の人間として私も,Aaliyahを当時ヘヴィロテで聴いておりました。当時ヘヴィーローテーションで流していた大好きなアルバムの歌手が亡くなった,と。それを知ったのは,当時インターネットなんて僕はやってなかったですから,誰かアメリカに住んでいた友達から聞いたんだと思います。新聞でも見たのかな?もうアメリカと黒人音楽にどっぷり浸かっていた2001年でしたので,当時の様々な思い出が,「Song Cry」を聴くと甦ってくるのです。そういう最中のことでしたから,Aaliyahが亡くなった翌月にリリースされた『The Blueprint』収録楽曲の最も感動的である曲をサンプリング(という言葉が安っぽく聞こえてしまうので使いたくない)否,サンプリングではなく「お手本として起用させていただいた」曲をドレイクがリリースしたというのは,そして同日にリリースされたミュージックビデオを拝見した時には,あの当時を思い出して,いろいろな感情が溢れ出してきたため,涙が出てしまったのでした。

ここにその「When To Say When」と「Song Cry」と,そしてBobby Glennの「Sounds Like A Love Song」を掲載しておきます。

Drake – “When To Say When”

JAY-Z – “Song Cry”
(ミュージックビデオの冒頭で2002年という文字が出てきますが,この曲を収録したアルバムが出たのは2001年です。当時はミュージックビデオ(当時の言葉でPV)は時間をかけて製作されていましたから,曲が世に出て1年,2年後にPVが発表されても不自然ではなかったのです。最近のように,リードシングル曲ならまだしも,それ以外の曲がリリースされて,同日中にミュージックビデオも世に出るなんていうのは極めて稀なことだったのです。)

Bobby Glenn – “Sounds Like A Love Song”

(文責&キュレーション:Jun Nishihara)

ジェイZの“B-Sides”ライヴ・コンサート(その②:ニプシー・ハッスルへの追悼フリースタイル対訳)

先日,ジェイZの「B-Sides」コンサートについて掲載いたしました。

そこで初披露されたNipsey Hussle(ニプシー・ハッスル)へ贈る追悼フリースタイルを以下に掲載いたします。

JAY-Z – “FREESTYLE for Nipsey Hussle”

[Verse]
Gentrify your own hood, before these people do it
Claim eminent domain and have your people movin’
That’s a small glimpse into what Nipsey was doing
For anybody that’s still confused as to what he was doing
The neighborhood is designed to keep us trapped
They red line us, so property declines if you live by blacks
They depress the asset and take the property back
It’s a ruthless but a genius plan in fact
So now we fighting over scraps
Crabs in a barrel, but crabs don’t belong in the barrel and they ain’t never tell us that
So in the barrel, we gonna act like we act
We can easily get out the barrel if we stand on each other’s back
Whoever gets on top, as long as they stay attached
They gonna pull everybody out
I was doing just that

よそから来た連中に,おまえ自身のフッド(=地元)を手渡すんじゃない
その名高い故郷と住民を,今すぐ奮い立たせんだ
それはニプシーがやっていたことの,ほんの一部分にすぎないが
あいつが何をやっていたのか,おまえらに伝えたかった
ある地区(ネイバフッド)は,まるで牢屋のように俺らを閉じ込める
政府は俺らをマークして,「黒人」という理由だけで所有地の価値は下がる
資産は下落させられ,所有地は奪われる
容赦の無いやり方だが,「ヤツら」にしてみりゃ最も都合のいいやり方だ
ついに俺らは,残されたクズ切れを求めて戦い合ってる
樽(タル)に囚われたカニ(=低所得層),しかしカニはカニでも囚人でいる義務はない
樽に囚われていたとしても,その中でできる最良の策をとればいい
背中の上に乗ってけば,樽の中から這い上がることは可能だ
ひとりずつ背中を積み上げていけば,いちばん上にあがった者が
樽の中のカニ全員をつかみあげて,外へ逃すことができる
俺がやっていたのは,そういうことだ

I told Neighborhood Nipsey stay close
There’s a 100 million dollars on your schedule, lay low
Tell your team to be on point in the places that they go
I never dreamed that he get killed in the place that he called home
How we gonna get in power if we kill the source?
Y’all like to run off on the plug, so of course

フッド出身のニプシーに言ったことがあった「地元を大事にしろ」
「おまえのプランには1億ドルの価値がある,つまり嫉妬する連中が出てくるから,自分の動きはおおっぴろげにするな」
「チーム仲間にだけ行く先を伝えて,確実にそこへ着かせるようにしていけ」
しかし夢にも思わなかった,あいつがまさか,その地元でやられちまうとは
黒人同士でやりあってたら,いつになっても上にはあがれない
最もキーとなる人間を殺してばっかいるから,いつまでもこうなんだよ

That ain’t lit, that’s a means to an end
Me and my team was playing the plug ahead of plan
Sometimes we was only making a $1000 a joint
That ain’t no money, but that ain’t main point
So those 92 bricks was only 92 thou
So y’all can close your mouth, it ain’t nothing for y’all to wild (wow)
But it is something to study
We was chasing our goals, not chasing money
Niggas chasing hoes, we find that funny
I pull up in the Rolls, that hoe gon’ want me
But I don’t want no hoe, I want a wife
Somebody to bounce these ideas off at night
I be going to sleep hoping Nip visit me
That young king had a lot of jewels to split with me
And we ain’t gotta leave the hood physically
But we gotta leave that shit mentally

イカレちまってる,原因と結果がごた混ぜになっちまってる
俺は常にキーとなることをかなり先まで進めてから,人に行く先を伝えていった
1本1000ドルしか稼げない時だってあった
しかしカネじゃない,そこがポイントなんじゃない
つまり92本のコカで92,000ドルしか上がらなかったことも
だから黙ってハッスルしな,すぐに稼げなくても騒ぎ立てんじゃない
しかしそこから学ぶことはできる
俺らはマネーを追っかけてたんじゃない,ゴールを追っかけてた
アバズレ女を追っかけてる男がいまだにいる,見てると可笑しいぜ
ロールスロイスを横付けすれば,アバズレ女が寄ってくる
しかし俺は「女」を求めてんじゃない,一生の伴侶を求めてんだ
夜中にいろんなアイディアを出し合って話し合える人
夜寝る前に,ニプシーが俺んとこ寄ってくれるのを願ったこともあった
「若いキング(=ニプシー)」は,俺にいろんな宝(コト)を教えてくれた
フッドを出る必要なんてどこにもない
だが心に刻んどけ,おまえがいるところをフッドと考えるんじゃない
(対訳:Jun Nishihara)

ジェイZの“B-Sides”ライヴ・コンサート(その①)

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(4月26日開催のB-Sidesライヴにて。左=ジェイZ,右=Nas)

4月26日(金),NYCの歴史的なダンスクラブであるウェブスター・ホール(Webster Hall:2002年頃当時はヒップホップのフロアもあった)の再開を記念して,ジェイZが「B-Sides(B面)」と題するライヴコンサートを開催しました。

ウェブスター・ホールは2017年8月9日に建物の修繕を理由に一時閉鎖されておりましたが,めでたく4月26日にジェイZのライヴをもって再開いたしました。建物自体は1886年に建設されており,建立から100年以上経ている歴史的な建造物です。ロケーションはNYCのイースト・ヴィッレジに位置します。現在はフロアごとにジャンルが分けれている,マルチダンス(ナイト)クラブです。

そのre-opening nightをジェイZが飾りました。

タイトルは「B-Sides」といって,今までめったにライヴでは演じてこなかったいわゆる「B面」の曲の数々をここで(久々に)披露しました。

さらにその夜,ニューヨークのヒップホップ史として大事なことが,Nas(ナズ)と今まで犬猿の仲であったCam’ron(キャムロン),そしてJim Jones(ジム・ジョーンズ)をステージに呼んだということです。(これに関する動画はYouTubeで検索願います。)

https://www.instagram.com/p/Bwwt9f9nd1B/?utm_source=ig_web_copy_link

さて,3月31日(日)に亡くなったNipsey Hussle(ニプシー・ハッスル)のトリビュートとして,この夜ジェイZは追悼のフリースタイルも披露しました。こちらです。

(このフリースタイルの邦訳は次回に。)

(文責:Jun Nishihara)