ヒップホップ音楽とイスラム教の関係 (アルバム『Ye』のリリースから今年6月1日で1年を経たいま振り返る(その②))

前回,カニエのラッパー仲間でイスラム教徒である人たちのお話をしました。
本日はその続きです。

黒人の歴史に根強く息づくネーション・オヴ・イスラームという思想ですが,どういったところにイスラム教徒のラッパー達(例えばモス・デフやルーペ・フィアスコ,バスタ・ライムスやスウィズ・ビーツ)は魅了されたのでしょうか。

1.アメリカ全土(特に南部)で奴隷制度は400年以上続きました。主人(マスター)と呼ばれる白人家族によって黒人(所有物)は奴隷として雇われました。家の中で雇われた奴隷(house negro)もいれば,炎天下のなか,屋外でこき使われた奴隷(field negro)もいました。外でこき使われ,綿やトウモロコシなどを積んでは鞭でぶたれ,水も与えられず重労働のみさせられ,人としてではなく所有物として扱われていた時代,ある黒人はふと思いました。こんなひどいことをする白人は何を信じているのだろうか。どれだけ教会に通って,神を信じているといっても,こんなひどいことをしていいというのか。こういうことをすることを教会で教えられているのか,と。この時代,ほとんどの白人はキリスト教徒でした。しかし白人の宗教(キリスト教徒)に疑問を持ち始めた一部の黒人は,やがて自分たちをひどく扱う白人の宗教(=キリスト教)からは離脱していき,イスラム教徒へと移り始めたのでした。

2.ひどい仕打ちを受けていた黒人たちは,麻薬に逃げ,白人女性を姦通し,あらゆる違法行為を犯し,刑務所に放り込まれました。これはほんとうに黒人が犯した罪もあれば,白人に迫害されて,行き場をなくし,どうしようもない時に,当時弱者であった黒人は,ほんとうは犯していない罪を被せられたというケースもありました。そういった時に,「いままで信じてきたもの(たとえば神様)とはいったい何だったんだろう」と疑問を持ち始めました。そこで,やさしい言葉で「イスラム教徒という素晴らしい思想がある。これを信じれば,麻薬からも救われるし,姦通からも救われるし,そういった犯罪をおかしたおまえも,アッラーは救ってくださる」という囁きを誰かしらから聞いたりします。そこで興味を持った今まではキリスト教徒であった黒人は,イスラム教徒へと移り始めます。

3.いままで当たり前のようにキリスト教徒として教会に通っていた黒人は,『マルコムX』という偉大な映画を観て,イスラム教(とくにネーション・オヴ・イスラーム)の存在を知ります。そこでは力強い言葉で「イスラム教は打ちひしがれた黒人のあなたを救ってくれる。これまで「黒人を」救うとはっきり言った宗教はこれまで存在しなかった。しかしイスラム教のみが「黒人を」救うと言っている」と,語られます。ここでいままで当たり前のようにキリスト教を信じていた黒人は,イスラム教に心を奪われ始めます。

キリスト教が白人を相手にして書かれた経典(Bible)だとすると,コーランは有色人種を対象として書かれたものである,という主張をネーション・オヴ・イスラームは広め,信者を増やしていきました。黒人の中でも特に奴隷として苦しい暮らしをしている人たちがNOIに救いを求めました。

しかしながら,実際,米国の統計センター(Pew Research Center)によりますと,アメリカ全土で考えてみますと,イスラム教徒である黒人はアメリカに住む黒人全体のわずか2%であり,その他黒人のほとんど(約80%)がキリスト教徒(カトリック,プロテスタント等を含む)との統計が出ております。

FT_18.02.06_africanAmericanChurch_640px

つまり,映画『マルコムX』は非常に影響力があるものでしたが,それをマジでイスラム教徒に改宗した黒人の割合はほんの2%しかいなかったということですが,ここで新たに驚くべきことは,この2%の中の多くが,ヒップホップ界に君臨するアーティストである,ということです。黒人全体の2%しかいないのに,ヒップホップ界では,こんなにも多くの(前回ご紹介したとおり)ラッパーたちがムスリムなのですから。

ちなみに前回ご紹介した,熱心なイスラム教徒であるラッパー=ジェイ・エレクトロニカ(Jay Electronica)の楽曲「Exhibit C」のアラビア語でイスラームの祈りの言葉を発する箇所をもういちど聴いてみたいと思います。下記YouTubeのタイムライン3:11~3:17の部分です。

They call me Jay Electronica—fuck that
Call me Jay Elec-Hanukkah, Jay Elec-Yarmulke
Jay Elect-Ramadan, Muhammad as-salaam-alaikum
RasoulAllah Subhanahu wa ta’ala through your monitor

俺の名はジェイ・エレクトロニカ・・・はもう死んだ
これからはジェイ・エレク・ハヌカ,否,ジェイ・エレク・ヤルムルケ
ジェイ・エレク・ラマダン・ムハンマドと呼んでくれ,アッサラーム・ア・レイコム
ラスール・アッラー,スブハナフ・ワ・タッラー,そうモニターから祈りが流れ出す

註釈:
・ハヌカはユダヤ教のお祭りで,クリスマスの時期に行われる。「ハヌカー」とはヘブライ語で「奉仕する」という意味。神殿の清みの祭りとされる。
・ヤルムルケはユダヤ人が頭に被っている聖なる絹。
(ここから以下がイスラム教への言及)
・ラマダンは断食の月。前回も言及したように,夕刻のイフタールが来るまでは,厳しいところでは水も飲まない。(しかし最近は酷暑の国で水を飲まず死者が出たため,水分は取ることが推奨される。)
・ムハンマドとはイスラームの預言者の名前であるが,イスラム教徒のもっとも典型的な男性の名前でもある。
・アッサラーム・ア・レイコムとは,イスラム教徒同士が交わす挨拶であるが,おおもとの意味は「神の平和を」。
・ラスール・アッラー.スブハナフ・ワ・タッラーとは,「神の遣いよ,栄光に包まれ,喜びとともにあれ」という意味。

SAUDI-RELIGION-ISLAM-HAJJ
(上記のシーンは,映画『マルコムX』でも映し出される,世界中のイスラム教徒が一生に一度巡礼(=ハッジ)するといわれるサウジアラビアのメッカの模様。)

さて,次回は,いよいよ佳境に入ります。ネーション・オヴ・イスラームはいつから始まり,誰が始めたのか。そしてルイス・ファラカーンとはいったい何者なのか,ということを紐解いてみたいと思います。

(文責対訳:Jun Nishihara)

ヒップホップ音楽とイスラム教の関係 (アルバム『Ye』のリリースから今年6月1日で1年を経たいま振り返る(その①))

本年6月1日で,カニエ・ウェストのアルバム『Ye』リリースから1年が経ちました。昨年のちょうど今頃,暑い夏が始まろうとしていた頃でした,同アルバムを当サイトで翻訳・対訳を掲載させていただき,いろいろな方々に読んで頂きました。当サイトにお越しいただき,読んでいただき,ありがとうございました。そして今日もここに来ていただき,ありがとうございます。

リリースから1年後の今,アルバム『Ye』を振り返って,カニエがアルバム冒頭の楽曲「I Thought About Killing You」でラップしている歌詞の一部について,注目しておきたいと思います。

カニエはこういう歌詞で曲を始めております。

[Verse: Kanye West]
I called up my loved ones, I called up my cousins
I called up the Muslims, said I’m ’bout to go dumb
Get so bright, it’s no sun, get so loud, I hear none
Screamed so loud, got no lungs, hurt so bad, I go numb
Time to bring in the drums, that prrt-pu-pu-pum
Set the NewTone on ’em, set the nuke off on ’em
I need coke with no rum, I taste coke on her tongue
I don’t joke with no one, they’ll say he die so young
I done had a bad case of too many bad days
Got too many bad traits, used the floor for ashtrays
I don’t do shit halfway, I’ma clear the cache

(ヴァース:カニエ・ウェスト)
愛する人たちに,親戚兄弟に,ムスリムの仲間たちに
電話してこう伝えた,「ついに俺,暴れちゃいそう」
まぶしくなって,太陽は沈んだ,爆音で,音は消えた
悲鳴をあげた,声は出ない,傷ついた,感覚は麻痺した
叩いて響かせろ,太鼓の音を,ダ・ダ・ダ・ダン・ダン
オートチューンを効かせて,ピッチを爆発させろ
ラム無しのコーラ,彼女の舌にコカの味
ふざけてんじゃない,よく言われるよ,「早死にするよ」って
ツイてない日が連続で起こったケースが俺
悪い癖がありすぎて,床を灰皿代わりにしたりして
中途半端なことはしたくない,すべて真っさらにしてやりたい
(対訳:Jun Nishihara)

曲の冒頭でカニエは「I called up my loved ones / I called up my cousins / I called up the Muslims(俺は愛する人たち,親戚兄弟,そしてムスリムの仲間たちに電話してこう伝えた)」と言っております。

ムスリムとはイスラム教の教えを信仰する教徒の人々のことですが,カニエ・ウェストにとって,そしてヒップホップ,はたまた黒人の歴史にとって,イスラム教は切っても切れない一つの宗教といいますか思想でした。アメリカに住む黒人が信仰するイスラム教は一般的にブラック・イスラーム(Black Islam)と呼ばれているものですが,どういう宗派があって,ヒップホップ・アーティストでは誰がそのイスラム教徒で,どういう教えで,なぜ彼らはイスラム教徒に改宗したのか,というのを簡単にひもといていきたいと思います。

カニエ・ウェストの周辺では,カニエと同郷出身でむかしからともに活動してきたラッパーのモス・デフ(Mos Def)がカニエに一番近いムスリム(イスラム教徒)といえるでしょう。

Mos_Def_-_Ilosaarirock_2012
(上記写真はモス・デフです。)

モス・デフは2011年9月に自身の名前を法的に「Yasiin Bey(ヤシーン・ベイ)」に改名し,2016年1月19日,カニエ・ウェストのホームページでヒップホップ業界からの引退宣言をしました。モス・デフ改めヤシーン・ベイは,母親シェロン・スミスと父親アブドゥル・ラフマーンの子です。父親アブドゥル・ラフマーンはネーション・オヴ・イスラーム(Nation of Islam(略してNOI))の信者で,ワリス・ディーン・ムハンマドというスンニ派(イスラム教徒の宗派)に信徒として仕えました。モス・デフは20代の頃,ア・トライブ・コールド・クエスト(A Tribe Called Quest)という偉大なるヒップホップ・グループのメンバーでありイスラム教徒であるアリ・シャヒード・ムハンマドやQティップ(Q-Tip)とよくつるんでいました。

また,カニエと同郷シカゴ出身ですが,カニエよりも若い世代のルーペ・フィアスコ(Lupe Fiasco)もムスリムです。

lupe-fiasco-colin-kaepernick-kneelin-on-needles-mp3
(上記写真はルーペ・フィアスコです。)

ジェイZのレーベル=ロック・ネーション(Roc Nation)に所属しているヒップホップ・アーティスト=ジェイ・エレクトロニカ(Jay Electronica)も熱心なイスラム教徒です。彼の歌詞には,「神の平和を」を意味するムスリム同士の挨拶言葉「As-salāmu ʿalaykum(السَّلَامُ عَلَيْكُمْ)」がよく使われております。以下は,ジェイ・エレクトロニカの名曲「Exhibit C」ですが,以下YouTubeのタイムライン3:11~3:17の箇所で,アラビア語らしきイスラームの祈りの言葉が発せられております。

上記曲「Exhibit C」のプロデューサーはかの有名なジャスト・ブレイズです。ジェイZの名盤『The Blueprint』(2011年9月11日(9.11の日)にリリース)でカニエ・ウェストと双璧をなしたベテラン・プロデューサーです。ビヨンセのアルバム『レモネード(Lemonade)』に収録されているケンドリック・ラマーをfeat.した楽曲「Freedom」も,ジャスト・ブレイズがプロデューサーを務めております。

さて,話を戻しますと,このようにヒップホップ界にはイスラム教徒はめずらしくなく,他にも以下のとおり結構な数でイスラム教徒と呼ばれるヒップホップアーティストはいます。一部を挙げますと,T-ペイン,DJキャレド,バスタ・ライムス,SZA(最近ポップ界でも人気の女性歌手),スウィズ・ビーツ,MCレン,ケヴィン・ゲイツ,アイス・キューブ,フレンチ・モンタナ,フリーウェイ,ビッグ・ダディ・ケイン,ビーニー・シーゲル,エイコン,スカーフェイス,シェック・ウェス,ニプシー・ハッスルです。彼らの多くは,モス・デフの父親と同じく,ネーション・オヴ・イスラーム(NOI)を中心に信仰しているようですが,各アーティストによっては,どれくらい信仰しているかについての程度の差はあると思います。

ブラック・イスラームにおけるネーション・オヴ・イスラームという宗派は,どういった教えなのでしょうか。大きくわけて3つのことがいえるそうです。

1.伝統的イスラームの教えと同じくイスラム教の五行は基本的に信じているが(例えば「ラマダンの月には断食を行う」(夕刻のイフタールまでご飯を食べないし,水も飲まない。しかし最近は,パキスタンやアフガニスタン,イラクなど,酷暑の夏には水分を取らないのは危険なため,水だけは許されている国もあるそうです。)など)しかし,解釈の面で伝統的イスラームと相違している部分もある。

2.堕落した人生を送っている黒人を救うとする。(街角や監獄で,未来への希望も夢もなく時を過ごしている黒人たちや,麻薬,白人女性に対するレイプ,家庭崩壊などといったような(黒人として)誇るべき生き方でない道を歩んでいる者を救うとする。)

3.イライジャ・ムハンマドを使徒とする。(2019年時点の指導者はルイス・ファラカーンであるが,指導者は時代によって変われど,使徒(Messenger)であるイライジャ・ムハンマドは変わらない(注:NOIが解体しない限り。))ちなみに,預言者(Prophet)は伝統的イスラームもNOIも,ムハンマドであると信じる。

さて,こうしたネーション・オヴ・イスラームという黒人を対象とした特有のイスラム教のひとつの思想に,ブラック・ムスリムであるモス・デフやルーペ・フィアスコ,ジェイ・エレクトロニカは,どういうところに魅了されたのでしょか。

この続きは,後日,ひもといて参ります。

(文責:Jun Nishihara)