第4位:2021年,あの世にいっちまったDMXへ捧げる俺からの個人的な哀悼。

個人的に高校生の頃初めて聴いて度肝を抜かれたDMXというラッパーがいました。初めて聴いたアルバムは『…And Then There Was X』でした。まず囁き声で「Ruff Rydersss」と聞こえ始め,その後,本物の猛犬が鳴いているのか,DMXの鳴き声なのか判別し難いほど,あらゆる犬の鳴き声が聞こえてくるという冒頭で開始するアルバムです。そして,吃(ども)り声のお経がはじまったのかと思わせるようなDMXのラップ及びフロー。こんなアルバムは聴いたことがないと,当時Limp Bizkitにのめり込んでいた私は思ったわけです。その頃から,地元の高校の近くにあったTower Recordsに通っては,お金があんまり無かったので,CDの視聴コーナーでDMXとジェイ・Zがどちらが強いか(当時,私はどっちが“強いか
”という打撃力でラッパーたちを比較していました)と聴き分けながら,遊んでいました。その頃から,ラップを「聴き分ける」というスキルを身につけたんだと思います。当時から英語は得意・好きでしたから,英語のラップもなんとなく解りました。当時はインターネットなんて無い時代でしたから,リリックは歌詞カード(をWAYというレンタル屋さんで借りては家に唯一あったFAX機で大量にコピーして,歌い込んで覚え込んでいました)が頼りでした。

ラッパーを打撃力で聴き分けるというのは,当時,DEF JAMレコーズの日本支部が独自に出していたラップ・カード(当時は1998年頃ですよ!)で「HPとMP(これは攻撃力と魔力に分けたドラクエの影響ですね)」に分けて,パワーを表示していたものに起因します。それに影響を受けて,いろんなラッパーを私なりに「HPとMP」に分けて聴いていた,というわけです。

ですから,DMX愛が始まったのは,かれこれ,もう23年前のことです。

その後,私はオハイオ州の高校に高校4年生(いわゆるアメリカでいうsenior class)として留学し,白人のクラスメートの家に行って,DMXやジェイ・Zやスヌープ・ドッグの音楽を聴いたのです。別のクラスメートに,ベトナム系のアメリカ人がいて(親はベトナムからの移民で,そのクラスメートはアメリカ生まれアメリカ育ちのベトナム人ですね),そいつの部屋にはシャワーもあり(自分の部屋にシャワーがあるアメリカ人の高校生の家にあこがれた!),ベッドルームにはロッカフェラ(Roc-a-fella)レコーズのロゴやアーティストのポスターだらけだったことに感動し,その瞬間私はDMXは負けた,これからはジェイ・Zの時代だ,と悟ったのです。

その時から,攻撃力(HP)だけではダメだ,魔力(MP)が必要だ,と思うようになったのです。攻撃力だけでは確実にDMXが優っていましたが,それ以上に,ジェイ・Zには魔力がありました。マジック・パワー(MP)ですね。ジェイ・Zの攻撃力以外のパワー(ヒップホップ界への影響力だとか,フローのかっこよさだとか,金儲けの巧さだとか,そういった魔力的なもの)がすげぇ,と素直に思ったのです。

そういう高校時代を過ごしたものですから,Ruff RydersやRoc-a-fellaまわりを中心にして,私のヒップホップ愛は増幅していったのでした。

そんな私も,オトナになり,仕事を始めるようになってからも,DMXはストレス発散をしてくれる音楽として,当時ほどでもないにせよ,時々聴いていました。正直なこというと,ジェイ・Zばかり聴くようになり,大学を卒業した後,まだMySpaceやミクシーが流行っていた頃(ブログという言葉が生まれた初期の頃=2005年頃ですね),ジェイ・Z愛についてはその時代に語り尽くしましたが,それくらいジェイ・Zに傾倒していたのでした。

オトナになってから,16年経った今,時代もだいぶ変わり,CDはもはや買わない時代となった今,ストリーミング・サービス等で,月額を支払って音楽を聴くような時代になり(サブスクなんていう言葉が当たり前に使われるようになった時代になり),DMXを今,ジェイ・ZのTIDALで聴いている(どっちが勝った?やっぱり魔力の勝ちか?)という人生を送っているのです。

そんな私の人生と重なるようにいたDMXがですよ,あの世にいっちまったんです,2021年。そりゃあ,家を飛び出したくなります。でも哀しいかな,私もオトナになってしまったのかな。スピーカーをbluetoothで繋いで,DMXの曲を爆音で流したくらいです。今この瞬間はNYにいますが,DMXの故郷であるヨンカーズ(Yonkers)に行くこともなく,なんて醒めた人間になったんだ私は,と思いましたよ。

あの時代に骨の髄まで感じていたDMX愛はどこにいっちまったんだ?!と。

いま,TIDALでDMXを爆音で流しながら,これを書いています。

ついついなつかしくなっちまって,DMXについて書いてしまいました。

それが,こちらこちらこちらです。

DMXよ,あんたが俺の心の奥底に残してくれた遺産は,最近は表現することがなかったけどよ,心の奥底にそのまんまあったことは確かだ。1998年以来,23年間,消えることなく。23年間消えなかったから,このまんまおそらくずっと消えることはないだろうな。新しいラッパーが生まれてきても,ケンドリック・ラマーや21 Savageなんていうラップがそこそこ上手いヤツらが出てきても,DMX,おまえは俺の心の奥底に生きたままだ。昔も今も。

(文責:Jun Nishihara)

第3位:米BETテレビ局で放送された番組『ラフ・ライダーズ・クロニクル』(2020年Hip-Hop名曲名場面ベスト30)

これは2020年7月頃から米国ブラック・エンターテインメント・TV(BET)で放送された番組です。公式HPについてはこちらからどうぞ。

これは当時(90年代〜2000年代前半にかけて),米国イチのHIP-HOPストリートレーベルであったラフ・ライダーズ(Ruff Ryders)に関する歴史(chronicles)を紐解いた番組です。

同時期にジェイ・Z(JAY-Z)はデイム・ダッシュ(Dame Dash)やカリーム・ビッグズ・バーク(Kareem “Biggs” Burk)と組んでロッカフェラ・レコーズ(Roc-A-Fella Records)を立ち上げていた頃で,西側では既にスヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)やドクター・ドレー(Dr. Dre)らがデス・ロウ・レコーズ(Death Row Records)で活躍していた頃でした。

つまり,これらのレーベルは「ヒップホップの黄金期」と呼ばれる時代を生きたヒップホップ・アーティストたちの「居場所」を作ってくれたレーベルだったのです。その中でも「極めてストリート」と呼ばれたラフ・ライダーズ(Ruff Ryders)についてその初期の頃,つまり黎明期(創立される少し前)からさかのぼって,その歴史を紐解いております。

Ruff Rydersの歴史を紐解くことにより,ヒップホップの歴史そのもののかなりダークで“なつかしい”部分がうまい具合にえぐり出されています。

もちろんインターネット・ラッパーなんて皆無の時代です。
最近は若手ラッパーが登場しては,いつの間にかどこかへ消えていく「インスタント・ラーメン」のような消費のされ方をしている時代ですが(ネットさえ使えれば,誰にでもチャンスは回ってくるという良い面と,消費のされ方があまりにも儚すぎるという悲しい面の両方を合わせ持ちますね)とは,一味違った「濃さ」(当時はそんなのを“ゴテゴテのヒップホップ”と呼んでいたりしました)を味わうことができる番組です。

ハナシの始まりは,今でこそアリシア・キーズ歌姫と結婚したことで有名になったスウィズ・ビーツ(Swizz Beatz)ですが,当時はずっと裏方の人間だったこのスウィズ・ビーツという男の伯父と伯母の話からスタートします。

伯父は,ワー・ディーン(Waah Dean)とディー・ディーン(Dee Dean),そして伯母はシヴォン・ディーン(Chivon Dean)です。この3人がラフ・ライダーズの黎明期のキーを握る人物。たま〜に,スウィズがTVに登場する際に,その側に一緒に映っていたりします。あの物静かそうなキャラです。

それから,ラフ・ライダーズ・レーベルのファースト・レディーであるイヴ(EVE)は今でこそ米・女優としてあらゆる映画やドラマで活躍中ですが,大元は,ここラフ・ライダーズ出身の女子ラッパーでした。つまり,ニッキー・ミナージュやカーディ・Bの大ダイダイ先輩なのですよ。

それからブロンクスをぶいぶい言わせたザ・ロックス(The LOX)を知っていますか?ヤツらも登場します。

ここで1曲,聴いてみましょう。「Ruff Ryders Anthem」その名のとおり「アンセム」です。

Ruff Rydersの代名詞とも言われるこの曲は,私が2002年NYのスタテン・アイランド(Staten Island)にいたころ,道端で黒人の若者らが(iPhoneの無い時代),通り過ぎるクルマでガンガン鳴り響くこの曲のビートに合わせて,大声でラップしてたのを覚えています。それから18年,19年経ちましたが(信じられん!),いまだにこの曲ほどのヒップホップ・クラシックと呼べる曲は最近生まれたのかどうか不明。

ビートとともにくりかえし繰り出す「What!」は獰猛犬が吠えているように聞こえます。「STOP!」とくれば「DROP!」と返す。その後は「SHUT EM DOWN, OPEN UP SHOP!」。

それから,こちらもどうぞ。2000年4月にリリースされたアルバム『Ryde Or Die Vol.II』より楽曲「Ryde Or Die Boyz」です。

スタイルズ・P(もラフ・ライダーズ出身)が大好きなそこのあなた,次の2曲,こちらもどうぞ。懐メロです。

1. Styles P – “Good Times (I Get High)”
2. Styles P – “Holiday”

東海岸,なかでもNYのゴテゴテのヒップホップが大好きだった連中にとっちゃたまらん曲の数々を,Ruff Rydersは生み出してくれました。その感謝とともに第3位という称号をお送りします。

(文責:Jun Nishihara)

平成最後の米ミュージック・フェスは,カニエ・ウェストの“Sunday Service”で。

平成最後のミュージック・フェスは,米カリフォルニア州インディオ市で毎年恒例開催されているアメリカ最大のミュージック・フェス=コーチェラ(Coachella)でした。

去る4月21日(イースターの日曜日)に開かれたコーチェラ祭は,カニエ・ウェストの「Sunday Service(日曜のミサ)」には(いろいろな意味で)もってこいの吉日でした。

これを鑑賞するには2つ方法がありました。

1つは実際にカリフォルニアで開かれているコーチェラ祭へ足を運ぶこと。まずは,LAX(ロサンゼルス国際空港)まで飛び,そこからコーチェラ会場まで米ドル$75.00出せばシャトルバスで連れてってくれました。

もう一つの鑑賞方法は,生放送をYouTubeのコーチェラ特設ページでストリーミングで観るという方法でした。これは当サイトでも取り上げました。

ストリーミングで生放送をご覧になられた方々はもう気づかれておりますが,こういう映像がずっと流れました。

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これはfisheye lens(魚の目のレンズ)と言って,まるで望遠鏡で覗いているような錯覚を覚えます。どうせ生ストリーミングするのなら,他の人たちがやってるストリーミングとは違った方法でやりたい,というカニエのよくいえばアーティスティックな,別の方法でいえばひねくれた,一筋縄ではやらせない,もうこれはカニエの性(さが)と呼んでいいほどのものと思いますが,を見せてくれました。

しかしながら,さすが観客の数は相当なものでした。

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正規のコーチェラ会場とは別の(カニエ特別の)会場を使いました。もうこれは会場と呼んでよいのか,山の中の丘の上と呼ぶのがふさわしいのか,もう分からなくなりますが,今年頭から毎週日曜日にこじんまりと始めてきた「Sunday Service」を考えますと(それも山の中でやっておりました),とても適当(適切)なロケーションであったことは間違い無いでしょう。

そういったステージもなく,カニエを映すステージ上のモニターもないところで,これだけの観客数が集まった(しかも日曜日の午前9時!)のは,特筆すべき事項でしょう。

さて,4月21日,イエスが甦ったとされるイースターの日曜日,時間は午前9時。まだ始まりません。しばらく経って9時15分,聖歌隊(choir)の仲間たちがこぞって丘の上へ向けて歩き始めました。だんだんとオルガンの音色が聞こえてきました。これまでのサンデーサービス同様,パステルカラー(カニエのファッション色)の衣装に身を包んだ聖歌隊の方々です,皆おそろいです,が丘の上に集まり始めました。

オルガンの音が聞こえていましたが,時間が経つにつれ,少しずつジャジーな音色に変化してきました。音量もだんだんと大きくなってきました。まだ演奏は始まっておりません。まだカニエは登場しておりません。

一番最初に映ったのが,タイ・ダラー・サイン(Ty Dolla $ign)した。丘の近くではカニエの娘,ノースちゃんとセイント君が踊っている姿が見え始めました。

カニエのレーベル仲間であるキッド・カディ(Kid Cudi)そしてチャンス・ザ・ラッパー(Chance the Rapper)が二人でポーズを決めている姿も映し出されました。

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(チャンス・ザ・ラッパーが指を差しているのは,結婚指輪です。今年3月11日に結婚式を挙げたばかりでした。)

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The Bennetts

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そしていよいよ,このコンサートの大ガシラ=カニエが現れました。

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そうこうしているうちに時間は9時55分となり,いよいよ,コンサートが幕を開けました。

曲もくは「Father Stretch My Hands」やめずらしいところではジェイZとビヨンセの「Lift Off」(『Watch The Throne』収録)などを披露。

このコンサート中のトリビアとして,ずっと帽子(キャップ)をかぶっていたラッパーは誰でしょう。

こたえはチャンス・ザ・ラッパーでした。

この“Sunday Service(日曜のミサ)”という聖なる時間にキャップをかぶって許されるのはチャンスくらいですね。

カニエのレーベル仲間であるティアナ・テイラー(Teyana Taylor)ももちろん参加しておりました。楽曲「Never Would Have Made It」を披露した彼女の声は,天にさえも届くような美声でした。

それから聖歌隊のみなさんの迫力も見応え(聞き応え)がありました。

ティアナ・テイラーが歌っている間に,聖歌隊が連呼した「Stand up! Press forward! Move on!」という掛け声が(これはさすが黒人の聖歌隊です)圧倒的な迫力を醸し出しておりました。

そして吠えるあの男=DMXもちゃっかり参加。「This is a God dream…」の歌中にヤツが現れました。

ライヴ終わり近くに「Jesus Walks」をカニエ,聖歌隊,全員で歌い上げ,Happy Easterで幕がないところで幕を閉じました。

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米全国紙のニューヨークタイムズ(The New York Times)が素晴らしい写真を撮っておりますので,以下掲載します。

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アメリカ全国ネットワークのBET (Black Entertainment TV)はさすが黒人に特化したTVネットワークと言わんばかりに,下記の迫力ある写真を撮影しました。

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さて,この一連の“Sunday Service”で,カニエはそれさえも「ブランド」化することに成功しております。それは「CHURCH CLOtHES」という名前で販促商品ならぬ洋服を作り上げました。

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パステルカラーのトレーナーやパンツです。

そして4月26日〜28日の3日間に亘って開催された,ファレル・ウィリアムスのミュージック・フェス=“Something In The Water”では,ファッション誌にも登場しまくりのあのファレル・ウィリアムスがカニエの“Sunday Service”のトレーナーを着ておりました。

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(4月27日(土)に開催された“Something In The Water”ミュージックフェスのステージで。左はジェイZ,右はカニエのトレーナーを着るファレル・ウィリアムス。)

平成最後のアメリカ最大のミュージック・フェスはコーチェラでしたが,もうひとつファレル・マニアにとっては,“Something In The Water”フェスも欠かせないものとなりましたので,次回はこの”Something In The Water”を取り上げます。

(文責:Jun Nishihara)

カニエ・ウェストの“Sunday Service”映像(つづき:Week 11)

さて,先日はカニエ・ウェストの”Sunday Service(日曜のミサ)”と名付けられたジャムセッションをまとめて掲載いたしました。

本日はつづきのWeek 11を掲載いたします。

今まではカニエも含めてクワイア(聖歌隊)全員が真っ白の布に身をまとって白装束の格好をしておりましたが,今週(Week 11)からは全員真っ黒のいでたちでセッションを行いました。そして何といっても今週はヒップホップ界の伝説の吠える犬男=DMXが登場します。

Kanye West’s Sunday Service (Week 11) (2019年3月17日)

タイムライン「9分50秒」からの映像にはあの「プープティ・スクープ」(Lift Yourself)の歌も出てきます。

ここまでご覧にいただいて気付き始めているかと思いますが,こんなことを毎週開催するヒップホップ・アーティストなんて今までいなかったですね。カニエ・ウェストのディスコグラフィーの中でも最も完成度の高いアルバムと呼ばれている『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』をリリースする前には,数ヶ月に亘って毎週金曜日に「G.O.O.D. Fridays(グッド・フライデーズ)」というシリーズを発表して,数々の名曲を生み出しました。これはまさに現在カニエが毎週日曜日に行なっている「Sunday Service(日曜のミサ)」に酷似しております。「G.O.O.D. Fridays」を数ヶ月つづけた結果,ついにそのculmination(最終地点)としてカニエはヒップホップ歴史にのこる偉大なる『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』をリリースいたしました。同アルバムには「G.O.O.D. Fridays」で発表した曲が収録されていることもあれば,収録されていない曲もありました。(正確にはこのシリーズで発表された楽曲数は15曲で,その楽曲の中から『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』に収録されたのは4曲ありました。) 

さて,最後にこの映像で締めることといたします。

(文責:Jun Nishihara)